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Arcadia Moonlight

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「水清ければ魚住まず」。
−−−−俗世界の言葉である。

天空に時空を超えて晧々と照る月。
賀茂川の清らかな流れは、鏡のように月を写している。
−−−−それは違うのだ。
月は、賀茂川の流れが清らかなので、この流れを探して澄んでいるのだ。
蘭の花は、この鴨長明の月と同じ。
この歌は、まさに、シンビを詠んだと思う。
シンビはそういう花であると思う。

ビジネス用に大衆受けする花を望めば、そのレベルの花が咲く。
大量消費を背景に育種すれば、表層の美しさの花を掬うことになる。
名花は、花を知る者を求め、銘花を追い求めた者にのみ姿を見せる。
素晴らしい花は「たまたま」「偶然」には咲かない。

蘭の美を最初に発見したのは「孔子」。
蘭は金銭でその姿を変えることはない−−−。
野にあっても、その薫りは野を満たす−−−。
洋ランのシンビであっても、この姿が蘭の原点であろう。
シンビ創りなら、この歌のような花を、生命の有る間に掬いたいものと思う。

鴨長明には、この歌が新古今集に載ることが−−−
「生命の余執」であったという。
私も、生命をかけた執着ともいえるシンビを掬いたい。
たとえ時代錯誤とみなされようと、あえて、深層の想いにかかずらいたい。

                          宇井 清太



石川の瀬見の小川が清らかなので、月もこの流れを探し求めて、そこに映り澄んで(住んで)いる。

 Limpid

 Arcadia Moonlight

石川やせみの小川のきよければ
        月もながれを尋ねてぞすむ

                 鴨 長明

yuyu sumu